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フィリピン高潮災害調査報告 ―― 防災における国際開発工学の重要性
国際開発工学専攻 准教授 高木泰士

オイルタンク
高潮によって押し流されたオイルタンク

2013年11月8日、史上最大級の台風Haiyan(フィリピン名Yolanda)がフィリピンのレイテ島・サマール島を直撃し、8,000名近くの死者・行方不明者を出す大災害が発生しました。12月4日~13日の日程で日本・フィリピンの大学研究者・行政関係者からなる合同調査団が初めて科学的な調査を行いました。私はこの調査団に参加し、全体調整役として台風上陸直後から調査に携わりましたので、その報告をさせていただきます。また、この場をお借りして、防災における国際開発工学的視点の必要性について述べたいと思います。一端の分野紹介を通じて、国際開発工学の魅力を少しでも紹介できれば幸いです。

フィリピン史上最大級の台風・高潮災害

フィリピンは世界でも有数の台風常襲国で、大きな台風自体は珍しいものではありません。それではなぜ、今回の台風はフィリピンの歴史上最悪規模の大災害に繋がってしまったのでしょうか。

私の研究室ではフィリピンで将来発生しうる超巨大台風とそれによる高潮の可能性について2年ほど前より研究を進めていましたが、今回の台風は風向、風速、進行速度、経路、気圧分布、地形、海底条件など、どれをとっても高潮の発生上、最悪に近い条件であったことが明らかになりました。唯一の例外は、ほぼ干潮のときに高潮が発生していたことで、もし満潮時に発生していれば、被害はけた違いに大きくなっていたと思われます。

後半で社会的な側面についても述べたいと思いますが、今回の台風が極めて高潮を発生させやすい性質をもった超巨大台風であったことが激甚災害を引き起こした第一の要因と考えられます。

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図1 北太平洋における過去60年間の台風経路分析結果

災害調査準備

私は、これまでにもインドネシア、スリランカ、ミャンマー、サモア、ツバル、ベトナムなど近年発生した津波や高潮、高波の調査を行ってきました。また、東日本大震災のときには青森から東京までの広範囲の津波被害を調査し、今でも年に数回東北を調査しています。

今回の調査団には、東工大以外にも早稲田大学、東洋大学、東京大学、NHK、フィリピンのデラサール大学(DLSU)や公共事業道路省(DPWH)、Center for Disaster Preparedness Foundation(CDP)、ベトナムのホーチミン市工科大学(HCMUT)などから総勢16名のメンバーが参加しましたが、これまでの経験を活かして、私は全体の調整役を担当しました。


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合同調査団の集合写真(筆者:前列右から3人目)
http://www.f.waseda.jp/shibayama/philippines_survey/philippines_survey.html

台風が上陸する前日は、国際会議出席のためイスタンブールを訪れていましたが、翌朝成田に到着し、電車で帰宅する際には調査団メンバーとのやりとりがすでに始まっていました。大災害が発生すると、このように直後より国内外で調査団が組織されるのですが、研究者の立場としては、いち早く、いかに質の高い調査を行い、そして早急にそれを学術論文として発表できるかが重要になってきます。

ただし、被災直後は、救命、医療、食糧支援など人道的な支援が最優先されるべきであり、また早すぎると道路が開通していない可能性もあるため、私たちの調査団は1か月ほど経過した後に出発するということになりました。

出発前までに行うべきことはたくさんあるのですが、調査を効率的に行うために、事前に数値シミュレーションを行うことがあります。もっともこの時点では、現地や災害の条件が明らかになっていない場合が多く、精度は必ずしも十分でないこともありますが、今回の高潮災害のように被害がかなり広範囲に及ぶことが予想される場合、あらかじめシミュレーションを行って高潮の空間的分布を推測しておくと調査計画を立てる上でとても役に立ちます。

レイテ島・サマール島の状況

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12月4日から1週間かけてレイテ湾の海岸線を中心に調査を行いました。高潮の被害を直接受けたレイテ島タクロバンの空港も一部供用を再開していましたが、一般人はまだ使用できないことや空港からの移動手段の問題もあり、私たちは被害の小さかったセブ島からフェリーでレイテ島に渡るルートで現地に移動しました。

今回の災害では、人的被害の大部分は高潮によるものと考えられていますが、猛烈な風によって送電線がなぎ倒され、島の広範囲で停電がしばらく続いたことが、救援や復旧の妨げになりました。私たちの調査団も電気も水道も止まっているタクロバン市内の民家で寝袋にくるまり一夜を過ごしました。道路上の瓦礫はほぼ撤去されており、移動はさほど支障はなかったのですが、路肩に積み上げられているだけなので、今後の復興には瓦礫の完全撤去が最初の課題になると思われます。

町の雰囲気ですが、沈み込んだ雰囲気はあまりなく、私たちが調査のために日本から来たことを知ると、わざわざよく来てくれたと、どこでも笑顔で対応をしてくれました。これは悲しみや苦労を表には出さず、笑顔で振る舞うフィリピンの人々の気質によるところが大きいと感じました。その一方で、現地ではまだ強盗や強奪が相次いで報告されており、治安が不安定な時期でしたので、調査は十分に日が出ているうちに切り上げ、複数の車が連なって移動するなど、安全には細心の注意が必要でした。

被害状況

調査では、高潮の痕跡を示す物的な証拠や住民証言を頼りに、高潮の高さや範囲、被害状況を調査しました。調査結果を要約すると、以下のようになります。

1) 2m以上の顕著な高潮が発生したと思われるエリアはレイテ湾のほぼ全域に及び、高潮は湾奥に行くにつれ高くなり、レイテ島州都タクロバン市で最大7mにも達した
2) 高潮の高さが3m以上から被害の程度が目に見えて顕著となってくる。海岸線近くのエリアでは木造家屋が全半壊、さらに一部でコンクリート造の建物やオイルタンクも破壊され、大型船舶も打ち上げられていた
3) 全般的に標高は極端に低平というわけではない。海え岸線からある程度離れたエリアでは被害を免れた家屋も多い。また、2階に逃げ、助かった事例も多い
4) サイクロンシェルターなど避難施設は存在せず、3階以上の堅固な建物も非常に少ない。よって、避難することを 決断しても、安全に逃げ込める場所が実際には少ない
5) 遠浅な海底が露わになるほどの引き波から始まり、その後数十分~1時間後に急激な水位上昇に転じ、高潮が一気に押し寄せた。通常高潮は海表面近くの吹き寄せによる効果が大きいが、場所によっては津波と同様段波状の  形態で押し寄せた
6) マングローブやサンゴ礁に守られた場所で、高潮の勢いが減衰した可能性がある場所もある

図2 レイテ湾沿岸部の高潮浸水深さ

高潮被害と社会科学的要因


フェンスより向こうは不法住居地域、打ち上った作業船によってなぎ倒されたバラック

7mという高潮はこれまでに世界中で発生した高潮の中でも最大級に近い高さです。しかし、2005年に発生したハリケーン・カトリーナでは米国・ニューオーリンズにおいて、それと同等か、それ以上に大きな高潮が発生していますが、人的被害は4分の1以下です。また、2008年にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスの高潮規模は今回と同等と考えられますが、死者・行方不明者は15倍以上となっています。このように自然災害の物理的規模は、確かに被害の大きさを左右する要因なのですが、それだけが決定要因というわけではなく、実態理解には社会科学的な視点も必要となります。

今回の調査では、この視点からも調査を行い、住民172人に対してインタビューも行いました。そこから災害を拡大させたと考えられるいくつかの要因が浮かび上ってきました。

1) 海岸線間際の不法住居地域で発生した被害
2) 留守宅に盗みに入られることを心配し、家に残り犠牲になった
3) 避難指示は出たが、どのように逃げたら良いのかわからなかったので、逃げなかった
4) ラジオやテレビから流れる高潮(storm surge)という言葉の意味を理解できなかった
5) 同規模と推定される台風・高潮は100年ほど前にも発生していたが、その災害の記憶が避難に活かされることはなかった

いずれも考えさせられる問題ですが、単に情報(information)として伝えられ、知るだけではなく、そこから危機意識(awareness)が芽生えない限り、人はたやすく避難行動を起こさないということを改めて考えさせられます。台風の場合は、たいてい強風・大雨の中での避難となるので、なおさら決断が鈍ります。

実は、フィリピン気象庁は最大7mの高潮が発生する可能性を台風上陸前日に発表しており、かなり正確な予報を出していたと言えます。しかし問題は、その情報が多くの気象情報に混じって、単なる数字として伝えられたようなところがあり、その脅威が十分に住民に伝わっていませんでした。また、そもそも多くの住民がテレビやラジオから流れる高潮(storm surge)の言葉の意味を理解できませんでした。インタビューを行った住民の中には、「高潮ではなく、津波(tsunami)という言葉を使ってくれたら、もっと避難をした人が多かっただろう」と残念がった人もいました。

事前避難が防災の基本ですが、数十年に一度しか大きな災害が発生しない場合、住民の意識に頼るのには限界があります。また、危険を感じれば誰でも危機意識が働きますが、災害の場合はその時点ではすでに手遅れの場合が少なくありません。今回の高潮も計算上では、たった30分で3~4mの水位上昇が発生しており、床上に水が浸水していることに気付いた時には、すでに外に逃げ出すことが不可能であったケースも多かったと思います。

自ら身を守る「自助・共助」の姿勢はもちろん大切ですが、防災インフラ整備や行政の緊急時の対応など「公助」も同時に重要です。特に、逃げ遅れた人々の命を守るためには、ある程度災害の威力を軽減する仕組みを都市開発の中にビルトインしておく必要があると改めて認識しました。このような持続的発展のための取り組みは、工学と社会科学が大いに協働できる部分と思います。

対岸の火事ではない

日本では、1959年の伊勢湾台風により5,000人を超える犠牲者を出しました。それを教訓に災害対策基本法が制定され、防災対策が一気に進んだということもあり、以降これまで大きな高潮災害は発生していません。つまり、すでに50年以上高潮と無関係に過ごすことができているということになります。しかし、地震による津波と同様、台風による高潮も結局確率的な事象に過ぎず、平穏な時期が長く続いているということは、裏返せば、次の災害発生に近づいているということに他なりません。

今回のフィリピンの高潮災害は日本の高潮対策にも非常に大きな影響を与えるものと考えます。3大湾(東京湾、大阪湾、伊勢湾)の各々の海岸線延長はレイテ湾とほぼ同等で、いずれも南に開いた高潮が発生しやすい湾の形状をしていますが、人口規模はレイテ湾と比較すると数十倍、経済規模は果てしなく大きいのではないかと思われます。その人口や経済拠点が超密集した日本の大都市に伊勢湾台風よりはるかに勢力の大きいHaiyan級の台風が直撃し、伊勢湾台風時の2倍近い高さの高潮が襲ったときの被害は正直想像がつきません。少なくとも、今現在の防潮堤の規格では、Haiyan級の台風には万全ではないことは明らかです。

このような超巨大台風の来襲を過度に心配する必要はないと思う反面、Haiyan級の台風は将来的には日本においても想定外とは言い切れない台風の規模ではないかと考えます。地球温暖化の影響と台風の強大化の関係は、科学的には実証されていないのですが、このような影響も大きな不安要因の一つには違いありません。

東日本大震災以降、日本ではかつてないほど防災に対する国民の意識が高まっています。また、伊勢湾台風以降各地で急速に建設された防潮堤や護岸も更新の時期を迎えています。フィリピンで起こった大災害を対岸の火事とせず、これを教訓・契機として日本においても高潮対策の再点検がなされる必要があります。

開発途上国の防災につなげる

私の研究室では、開発途上国の防災につながる研究を第一の目標に掲げています。あえて途上国を強調していますが、これは国際開発工学専攻だからこそのテーマといえます。また、たくさんの優秀な研究者が国内の防災をしっかりと研究しているので、私は人材が希少な開発途上国のために力を注ぎたいという思いもあります。

ここ数年、特に力を入れているのがベトナムです。この国は、津波や高潮などの沿岸域災害に対して、世界で最も脆弱な国の一つです。これまでこの国の海岸線の8割くらいを調査してきましたが、健全な海岸ももちろんありますが、場所によっては信じられないくらい悲惨な状況を目の当たりにします。

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ベトナム・ファンティエット(Phan Thiet)の海岸。廃墟のようだが人はまだ住んでいる

フィリピン調査にも参加したベトナム人研究者らとともに、本年1月にはベトナム中部のクアンガイという町で行政関係者を集めて海岸災害に関するワークショップを開催しました。そこでフィリピンの高潮調査の報告を行いましたが、この町は台風Haiyanの次に発生した台風で記録的な洪水に見舞われており、高潮に関しても大変高い関心が寄せられ、質問が相次ぎました。

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ベトナム・クアンガイ(Quang Ngai)での防災ワークショップ(2014年1月)

海外からの研究者の訪問が稀ということもあり、最後には地方政府の代表者の方から技術的な支援を要請していただきました。 このように調査や研究の成果を学術論文として発表する他に、多少なりとも開発途上国の防災につなげられることは、大学研究者冥利に尽きるものです。

その一環として、現在仲間の研究者らとともにベトナムの海岸災害・防災についての本を執筆・編集している最中です。今年中には出版されますが、その暁には、それを携えてベトナムの各地で防災啓発を行っていきたいと考えています。

問題解決型人材育成の超切り札「国際開発工学」

私の所属する国際開発工学科をここで少し紹介したいと思います。本学科は、工学部開発システム工学科の流れを引き継ぎ、2008年4月に設置された本学で最も新しい学科の一つです。持続可能社会の実現に向けて活躍しうる人材、グローバルエンジニアを教育し輩出することを目標にしており、そのため従来の個別、伝統的な工学分野の垣根を低くして、横断的、学際的に全ての工学に共通する普遍的な学問を学べるカリキュラムを整えています。所属教員の専門も土木、化学、電気、機械、材料、情報等の基幹工学分野の他、バイオ系や開発経済、環境政策等社会科学系にまで広がる世界的に見ても大変ユニークな学科です。

このような総合工学的な学問はまだ一般的ではないのですが、防災など縦割りでは対処できない問題に総合的に対応できる、いわゆる問題解決型人材を育成するために非常に有望な学問体系といえます。

例えば、今回フィリピンを襲った台風Haiyanクラスの災害を想定した場合、防災上何ができるかは国の経済レベルや人材の有無によって全く異なってきます。今の日本であれば、防潮堤をさらに堅固に嵩上げするという方策が真っ先にとられると思いますが、そのような徹底したハード対策をとれる国はそれほど多くはないはずです。

フィリピンの場合はどうでしょうか。経済は急成長していますし、優秀な研究者・技術者もいますので、ある程度ハードでの対応が可能かも知れません。ただ、世界第4位の海岸線をもつフィリピンの島々の津々浦々に防潮堤を整備することは無理でしょうし、何よりもそんなことをしたら、フィリピンの最も重要な観光資源である美しいビーチを失うことになります。また、今回の高潮では海岸線沿いの不法住居地域に住んでいた多くの人々が犠牲になりました。このような根深い貧困問題が災害を増長させるという悲しい現実もあります。このような問題は工学だけでは解決できませんので、防災に関係する限り法制度や社会システムにも関心を持つ、すなわち国際開発工学的な視点が必要になってきます。

そもそも自然災害のように極めて不確定性の高い事象に対応するためには、必然的に従来型の学問体系を横断、あるいははみ出す必要が出てきます。したがって、俯瞰的に広く工学を修め、経済や法規制、環境、生物、風土などについても素養を有する全方向型の人材の活躍の場が広がっています。国際開発工学科・専攻はそのような人材を生み出すことのできる大変素晴らしいカリキュラムを構築しており、今後さらに発展していくと期待されています。

もちろん本学科・専攻で育成される人材像は、これまで述べたことよりも、さらに多様で奥深く、ひとつの型にはめることはできず、それがまた魅力なのですが、私自身はこのように国際開発工学の中で研究・教育を行うことのメリットや将来性を強く感じています。

あとがき

東工大は世界最高峰の教育・研究を行う大学を目指しています。それと同時に社会的弱者にも目を向け、世界の持続的発展に貢献するための教育・研究も重要と考えます。東工大には平成25年10月現在で19名のフィリピン留学生が在籍しています。外国人留学生の中では7番目に多い国です。また、首都マニラのデラサール大学には東工大のフィリピン拠点が設けられており、アジアにおける東工大の学術拠点として重要な役割を担っています。東工大に籍を置く一防災研究者として、今回の災害を教訓に、少しでもフィリピン、ひいては世界の防災に役立つ研究を行い、開発途上国の持続的発展に寄与できる人材の教育に尽力していきたいと思います。